40代男性 信頼していた人の裏切り
信頼には自らの「覚悟」が求められる
果たしてキミは覚悟を持って相手と対峙していたか
全て許すと言う覚悟を持って接していたか
全て許すと言う覚悟を持って接していたか
誠に残念な話しだが、
人は己(おのれ)の利に動く。
物質的な利
経済的な利
精神的な利
忍耐的な利
そうしたあらゆる利に
人の意識は、思考は、いとも容易く惑わさせる
それは、言うならば
人間である故の証みたいなものだ。
そして利は、時にあらゆるものに姿を変えて目の前に現れる。
その一つが、
信頼していた者からの裏切りだ。
「 裏切り 」
なんとも殺伐とした言葉だ
僕もテレビマンだった40代の頃、心から信頼していた仲間の一人に裏切られた。それはかつて経験したことのない痛い出来事で、立ち直るまでに三年もかかった。
裏切られて受けたあらゆる負よりも、裏切られた事自体に精神を奪われた
しかし、幾つもの経験を重ねていく中で見えてきた
信頼には自らの「覚悟」が求められるということを
たとえ相手が己の利に走っても許せる覚悟、
たとえ心を踏みにじられても許せる覚悟、
たとえ自らが負を背負らされても許せる覚悟、
たとえ肉体に傷を負っても許せる覚悟
まるで善人になれとでも言っているようだが、
しかし信頼とは、そうした覚悟の上に成り立つものだと気づいたのだ。
つまり、あの日、覚悟を持って相手を信頼していなかったのは僕の方だったのだと
その日以降、僕は覚悟を持てる仲間を選んだ。
そしてあの日以降、裏切りと言う現象は僕の前から姿を消した。
果たしてキミは覚悟を持って相手と対峙していたか
全て許すと言う覚悟を持って接していたか
キミの利を最優先してくれる者は
キミにとって時に手厳しく、時に手荒に
そして強引にキミを正す者だ
たとえ自分に負や責を負うとわかっていても
その者はキミを正そうとする
それはキミの明日を、未来を見ている故だ
覚悟を持てない相手からの裏切りは
遅かれ早かれやってくる
それを知った上で
信頼とは、
仲間とは、
友情とはを、
そして裏切りとはの自分なりの定義を持ちなさい。
師と仰ぐ方が僕に教えてくれた事がある
「自分を叱る者を三人近くに起きなさい」と。
「自分を褒める者に依存してはならない」と。
裏切られたと思っているなら、心の中でそっと謝りなさい。キミが覚悟もせず、自分の利、自分に都合良く勝手に裏切りと感じてしまったのだから、心の中でそっと詫びなさい。
そうすれば、キミは明日から
覚悟を持てる仲間を
長い人生を共にできる相手と必ず出会える筈だ
そして、もうそこには
裏切りと言う言葉は存在しなくなる。
僕がそうだったように。