30代男性 逃げ続けてきた人生の先にある絶望に肩を落としているキミはラッキーだ
筋肉と血に敗れた絶望という名の物怪(もののけ)
誰だって嫌な事から逃げたい
そう思うのは至極当然であり素直な気持ちだ。
たとえ子どもであっても、
20代30代、中高年、
いや、何歳になっても
嫌な事から逃げたい、
逃げ出したいと思う。
かく言う僕もその一人だ。
嫌いだから
面倒だから
分からないから
苦手だから
こうした多くの理由が
実は自分に都合のいい条件付きの理由だってことを、誰もが気づいている。
10代20代は経験値の少なさから、その理由が正しいと錯覚してしまう。いいだろう。錯覚の経験も必要な年代だと思う。
しかし30代を過ぎると、逃げ続けて来た「結果」が様々な場面で露呈しはじめ、やがて歩む足を止め、絶望という二文字を口にし始める。
絶望
その二文字は、まるで物怪(もののけ)のように膨れ上がり、そしてどこまでもしつこく付きまとい、やがて行手を阻む
だから敢えて言おう
嫌な事から逃げたいと思う気持ちと、
嫌な事から逃げ続けるという事は、
運命が二分されるほど大きな違いがあると言うことを。
僕がこれまで経験して来た嫌な事は、
ようやくここに来て筋肉になった。
倒れそうになっても踏ん張る力に、
倒れてしまっても何度でも起き上がる力へと姿を変えた。
そして、
いい事は、血になった。
夢に向かって前を歩き続けられる血になった。
その血は、家族や仲間を愛し、絆で繋ぐ熱い血となり、
やがて子どもたちへ、孫たちへと継がれてゆくだろう
この筋肉と血の均等なバランスこそが
人を大きく成長させる大いなる力になるという事実を、僕は体感し知っている
キミがもしもその事実に気づけば
キミがもしもそれを体感したら
これまでに起こった出来事の全てが
キミに必要だったと悟り
嫌な事全てに全身で感謝できるようになる
僕はそれを「絶対肯定」と呼んでいる。
キミにこれまで、そしてこれから起こる全ての嫌なこと、いい事が、キミの筋肉となり血になるという事。そこに否定など一切無いと言うこと。そして、こんなありがたい事は他にないと言う事
キミが夢を達成できるのも
キミが人生を思うようにデザインできるのも
この筋肉と血、
嫌な事といい事のお蔭なのだ。
だから、
これまで逃げ続けてきた自分に気づく事だ
逃げ続けてきた魔物と向き合う事だ
そしてその魔物の在処を明らかにする事だ
その上で、
また歩き出せばいい
ゆっくり慌てず時間をかけて
一歩づつ踏みしめながら噛み締めながら
そして味わいながら
歩き出せばいい
そうした一つ一つの積み重ねと
そうした一つ一つに歳月を惜しみなく使う事を
人生と呼ぶのだから。
やがてキミは気がつくだろう
キミがつぶやいた絶望は妄想だと言う事
絶望という物怪はそもそも存在していなかったという事を。
筋肉と血
この二つを与えてくれたものに感謝し
ありがたく大切に受け取りなさい。
質問者へ
逃げ続けた人生を歩んだという事、その先もう後がない絶望を感じている、そんな正直な自分と出会えて本当に良かったですね。それが自分を知るという。そこからようやく始められると言う、なんとラッキーな方だ。