30代男性_仕事に疲れた。何のために仕事をしているのかわからなくなっている。
タイトル勝ち組と負け組のモノサシ
「僕は皆さんの7倍働いていますよ。
だからこうして勝ち組にいられるんです」
ある大手アパレルメーカーの社員が
友人にそう語ったらしい。
友人はそれを聞いて絶句したと言う。
「でもさぁ、俺も三十代の頃はそうだったから、
何となく分かるんだよなぁ」
友人はバツの悪そうな顔でそういうと、
目の前の珈琲を一気に飲み干した。
そうなんだ。
僕もそうだった。
テレビの世界にいたあの当時、
一日22時間は働いていた。
打ち合わせ、ロケ、編集、放送、
そしてまた打ち合わせ、ロケ、編集、放送、
これが延々と続く。
しかし心のどこかで
頑張って働いている自分に酔っていたし、
それは当たり前の事だと思い込んでもいた
しかし、
やがてその世界から僕は離れる事になる。
視聴者の評価、クライアントの評価に心が疲弊し、
自分の存在意義も
生きる意味すらもわからなくなったからだ。
負け組のレッテルを自らの手で貼る選択は容易ではなかったけれど、
生きる屍にはなりたくなかった
僕の後を追いかけるキミ達に問いたい。
負けるとは一体どう言うことだろう
勝ち組負け組とはどう言う意味を指すンだろう。
僕はあの時、離脱を選んで本当に良かったと、
今ではつくづく思っている。
それは決して負け惜しみでも強がりでもない。
ベストな選択をベストなタイミングで実行したと思っている。
それはある意味、奇跡的なタイミングでもあったと思う。
あの時あのままあの業界にいたらと思うとゾッとする
報酬は大きく減ったが、
心は生き返り豊かになった。
今は未来のためにある。
だけもがそう言うが、
その今をどう自分なりに考え
どう自分なりに未来を見据え
自分なりに何をどう選択するか
それは、逃げか
はたまた、卒業か
勝つとは他人に勝つことなのか、
負けると誰のための負けを指すのか、
そのモノサシは誰なのか
誰が作った定義なのか
人の数倍も働き、高い報酬を稼いでいた業界仲間の
いわば勝ち組と言われた誰一人
今は残っていないと言うこの事実をキミはどう受け止めるか
稼ぎは少ないが、
自分に、家族に、社会に時間を割き
自分のオリジナル人生を謳歌している人を、
僕はたくさん知っている
理念と利益のバランス
生きていくための幸福の追求と
生きていくための経済
そのどちらか一方だけを求めるのではなく
そのどちらかに優先順位をつけるのではなく
豊かな心と豊かな経済のバランスを図ってほしい
そのバランスが如何に重要かを
僕を含めて
もう一度考えたい
限りある人生だ
しっかり考えてみたらいい。